雑記(医療関連)

救急医の栄枯盛衰

ここは地方の2次病院。病床数は400床程度でその地域の中核病院だ。昔から長らくその地域の救急医療を支えてきた。救急は内科当直と外科当直がいて夜間の対応をしていた。救急を専門とする救急医はおらず、中毒、熱傷、敗血症、多発外傷など全ての救急に対応しなくてはいけなかった。もちろん、医者にも得手不得手がある。中毒は内科が主にみるが、見慣れてはいない。なんの中毒なのか患者ごとに違うし、そもそもなにの中毒なのか分からないこともある。多発外傷は外科当直が主に見るが、外科にも専門がある。頭部外傷、胸部外傷、腹部外傷、四肢外傷などすべての外傷に慣れているわけではない。腹部外科の先生は普段頭のCTを見ていない。四肢のレントゲンもそうだ。でも、地域の患者はその地域の病院で診るのがよい。せっかく地域の病院があるのに、診られないからと言われ、隣町の遠い病院へ患者が行かなくてはいけないという事態は良くない。救命センターに運ばなければ短時間で死亡してしまうような超重症は別として、できるだけ救急患者は受け入れる。そうでなければ救命センターがパンクしてしまう。外科の先生も内科の先生も、「専門じゃないから」という言葉を飲み込んで、夜間の救急患者を断らずに受けいれていた。

ある日、この病院に嬉しいニュースが飛び込んできた。大学から救急医が3名派遣されてくることになった。毎日とはいかないが、救急医が当直してくれる。Walk inといって自分で来られる人は内科当直と外科当直で診療するが、救急車は救急医が全て診療してくれることになった。救急医は救急が専門なのだからなんでも診られる。心電図も読めるし、全身のCTやレントゲン画像も読むことができる。中毒対応にも慣れているし、心肺蘇生だってできる。Walk in患者に中毒患者が紛れていたり、CTやレントゲン、心電図を読むのに困ったら相談したりできる。内科系の医師も外科系の医師も諸手をあげて歓迎した。

救急医はまだ人数が少ないので当直は月水金の週3日だけだ。他の曜日には救急医はいない。そのかわり、救急医がいない夜はオンコールと言って当番が決まっていて、電話で相談することが可能。場合によっては病院に来てくれる。救急医がいてくれると安心だとか、来てくれて助かったという声が各所からあがった。救急医がいる日は、これまでストレスだった中毒とか熱傷とか多発外傷の患者を診てもらうことができる。まだいない日もあって、その夜は基本的に自分でなんでも診ないといけないけれど。でもこれまでの大変さに比べたら全然楽だった。

半年後、大学からの救急医の増援が決まった。救急医が7人に増えたので毎日当直できるようになった。救急医が365日いる。なんて恵まれた環境だろう。救急車はすべて救急医に診てもらえる。逆に救急医から患者をお願いされることもあるけど、それは自分の専門領域の疾患だ。呼吸困難の患者でも肺の病気かもしれないし、心臓の病気かもしれない。自分の専門だったら得意だけど、非専門領域だったら対応に四苦八苦してしまう。救急医がフィルターの役割を果たし、ある程度診断がついた状態で仕事を依頼されるのでこれまでより楽だ。どこの臓器の異常か分からないのを最初から診るよりよっぽどいい。救急医がいない時は中毒とか多発外傷とか心肺停止とか対応が不安だったけどもう自分たちが診ることはない。救急医よ、来てくれてありがとう。これまで苦労して救急医療を支えてきた医師たちは救急医に感謝した。救急医もそれを誇りに思いたくさんたくさん働いた。救急車の受け入れ台数は増え、病院の病床は患者で埋まり、手術数も増加した。それは病院の収益増加にもつながり、増えたお金は新しい機器を買うことや、古い設備を直すことに使われた。病院全体が色々な意味で右肩上がりであり、職場の雰囲気は良かった。各科の医師は忙しくはなったものの、感謝の気持ちもあったし、自分の領域の疾患に集中できるので文句は言わなかった。

5年後、少しずつ医師の顔ぶれが変わった。医師の世界において、若手から中堅の医師は数年ごとに職場の変更があることが多い。救急医が来る前から働いている医師と後からきた医師とで半々くらいになった。後から来た医師は救急医がいるのが当たり前で、救急医なしに自分たちで救急車を受けいれていた時代を知らない。中毒も敗血症も心肺停止も初期対応をすることはない。それは救急科医が対応するのが当たり前だった。5年前は救急車受け入れ台数や手術数、収益など色々な面で伸びていた病院の業績も徐々に頭打ちとなってきた。高度成長には限界があり、徐々に失速するものだ。まだわずかに業績は伸びているがかつての勢いはない。

さらに5年後、多くの医師が入れ替わった。10年以上職場が変わらないのは、当時から部長クラスのベテラン医師だけだ。その年代の医師は救急の最前線に出てくることはほとんどない。現在の若手、中堅医師にとって、救急医は当たり前のようにもともと病院にいる存在だ。救急患者の大半を救急医が診療しており、自分たちは診断がついた紹介患者やwalk in患者をみる。救急医に患者の相談をされることはあっても、救急医に患者の相談することはほとんどない。病院はここ10年で成長し地域の救急隊からも頼りにされている。救急車受け入れ要請は10年前の3倍以上に増えた。地域の中核病院として多忙を極める。地域の救急を支えるという意味で救急車の受け入れは絶対に止められない。救急医は救急要請を受け入れ続ける。それが使命だからだ。だが、知らず知らずのうちにパワーバランスが崩れていた。

「えぇ、またですか。さっき患者を頼まれたばかりなのに。少しはこっちのことも考えてくださいよ。」

「救急科がまた患者を受け入れたって。」

「救急車を受けて、その後診るのは結局こっちじゃないか。」

「救急車受け入れる前にこっちに相談してください。」

忙しくなれば人は余裕を失っていく。当たり前だ。時間もエネルギーも有限なのだから。救急科は特殊な科だ。救急医が働けば働くほど病院全体が忙しくなる。救急科は厄介な科かもしれない。

救急科に対する当たりは前より強くなっていた。

「救急科が来てくれて助かったよ。」

「中毒とか心肺停止を診なくて済むなんて気が楽だ。ありがとう。」

そう言ってくれた先生たちはもう異動していない。

救急医でない他科の医師にとって、救急医はいて当たり前の存在。そして仕事を振ってくる存在、仕事を頼まれることはあっても仕事を頼むことはほとんどない存在、この多忙な職場を作っている存在でもある。

救急医が365日勤務できるようになったこの病院の歴史を知る人はほとんどいない。救急医は救急要請に応え続ける。他科からのぞんざいな扱いにも絶えながら。

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qqbouzu
地方で救急科医として働いています。